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ノンフィクション作家・平井美帆 オフィシャルウェブサイト

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おもな掲載記事 ARTCILE

月刊現代(講談社)2006年5月号
注)法整備の状況などについては掲載当時のものです




ある夫婦の闘い 〜代理出産 見捨てられた現実〜

 


いよいよ帰国の途へ

双子が生まれると、ドクターは徹と典子を「父母」とする出生証明書を書いた。彼らがすでに弁護士を通じて、「代理出産によって生まれてくる子どもの父母である」との決定をカリフォルニア州上級裁判所からもらっていたからだ。
徹はサンフランシスコの日本国総領事館に出生届を提出。これで必要な手続きは終了したはずだった。
アメリカでの代理出産に関する法律は各州によって異なる。また、人工授精型か体外受精型か、有償か無償か、依頼主が既婚か未婚か、といった事柄によっても法的見解は変わる。カリフォルニア州では、人工授精型、体外受精型ともに、子どもの親権は「その出産を最初に望んだ者」、つまり依頼主夫婦に与えられる。
子どもたちはまだ入院中であったが、徹は日本で仕事のために一旦、帰国し、典子一人が残ることになった。オムツを替える練習をするなど、彼女にとっての初めてのアメリカ生活は毎日が新鮮で幸福に満ちていた。
12月10日、双子の弟のほうが先に退院。兄のほうは酸素が上手く吸えないため治療が長くかかったが、12月30日に退院することができた。
2003年2月中旬、いよいよ日本へ帰る日がやってきた。徹は数日前から子どもたちのもとを訪れていた。成田空港まで長時間のフライトに、子どもたちは耐えてくれるだろうか? 二人は不安を胸にその日を迎えた。


なぜ出生届は不受理?

帰国後は慌しく毎日過ぎていった。二人だけで過ごしてきた部屋は明るさが増したようになり、徹も典子も嬉しくてたまらない。しかし、待てど暮らせど、一向に出生届受理の知らせが来ない。戸籍に入らなければ、子どもたちの法的地位は宙に浮いたままだ。
6月になって、ようやく市役所から一通の封書が届いた。差出人は法務省民事局民事第一課。だが、それは追加書類の提出を求める通達だった。典子を母とする出生届を受理するには、診察記録、さらに出生するまでの申述書が必要というのである。
むろん、典子の診察記録などない。徹は法務省に直談判しようと腹を決めた。
海外で出産した場合、出生届、戸籍謄本、出生証明書、その訳文を揃えて提出すると、出生届は「形式審査」で受理される。代理出産であろうと、公表しない限り、出生届は受理されてきた。
彼らがたまたま引っかかった原因は、典子の年齢だった。1961年の法務省通達によって、「母親が50歳以上のときは出産の事実を確認する」と定められているからだ。


法務省に直談判

徹は地元の市会議員の紹介により、法務省民事局の職員二人と面会を取りつけ、すぐさま東京へ向かった。
徹は憤りを抑えながらこう語った。
「いかに役人は現状を知らないないかってことですよ。大臣答弁ばかり。法律より生殖医療のほうが断然進んでいるのに、昔のままの法律で処理してしまっているんです」
英語の裁判判決文、代理出産契約書、卵子提供契約書。これまでの経緯を示す文書のコピーを、徹は法務省の男性職員たちに手渡した。
「へえー、そんなことがあるんですか」
だが、彼らは無責任な好奇心を露にして、驚くばかりである。
徹は熱意を込めて説明したが、話の核心になると事務的な姿勢を崩さなかった。
「西野さんの場合、公式見解によると戸籍に入らない。二人の子どもと奥さんの母子関係は認められないんです」
――50歳ならダメ、49歳ならいい、なんておかしいじゃないですか。そのラインは誰が引くんですか?
徹が問い質すと、職員たちは困惑し、最後には、
「いまのシステムでは、海外での出産が代理出産かどうか調べようがないですから」
と繰り返すだけだった。
この3カ月後、法務省が出生届を延々と一年近くも保留にしていることを、新聞各紙は一斉に報じた。
「今夏、夫婦が米裁判所から得た判決文を入手し、初めて代理出産の事実を知った。妻が出産していないことがあきらかになった以上、受理は難しい」
法務省民事局はこうコメントした(読売新聞、2003年10月23日付)。皮肉にも、法務省は徹の上京によって代理出産の事実を知り、出産届の不受理を決めたというのだ。

2004年3月22日、徹は地元の家庭裁判所に「不受理処分の取り消しを求める申し立て」を行った。同年8月14日、この不受理取り消し請求を家裁は却下。
10日後、徹は大阪高等裁判所に即時抗告をする。だが、2005年5月、大阪高裁はこの抗告を棄却した。
最高裁の判断は冒頭の通りである。代理出産による出生届は、ことごとく法の壁にはねのけられた形だ。
「もっと不妊の人たちが結束して団体行動しないといけないけど、日本では表に出るのが難しいでしょう。不妊でない人たちは無関心で、代理出産なんて興味ないですから。国は部外者の意見ばかり聞いて、当人の声なんて全然、反映していない」
国内の現状に、徹はやり場のない怒りを感じている。


根津医師の見解

今後、代理出産は法律で禁止される可能性もある。厚生科学審議会の生殖補助医療部会は、「代理懐胎(代理母・借り腹)は禁止する」とする報告書をまとめた(2003年4月28日)。この報告書に基づいて法制化が進めば、代理出産は法律で禁止される。だが現在に至るまで、事態は膠着したままだ。
「だけど、あの答申案はまだ生きているからね。もしあれを国会に提出されたら、そのまま通って代理出産は法律で禁じられるかもしれない。それは何が何でも阻止しないといけないと思うんでね」
こう危惧するのは、「諏訪マタニティークリニック」の根津八紘院長。代理出産といえば、真っ先に取り沙汰されてきた人物である。根津医師は日本で初めて減胎手術、非配偶者間体外受精を行い、2001年5月には姉妹間による無償の代理出産を公表した。2例目の代理出産の成功は、2003年3月に明らかになった。
西野夫妻のケースについて、 
「産みの母、遺伝の母、育ての母と3人のお母さんがいて複雑ではあるけど、子どもにしてみれば、そんなに僻みを持って捉える必要ないんじゃないかな。皆の善意のもとに成り立っていて、出生のルーツがきちんとしているのだから。万一、子どもが戸惑っても、軌道修正が可能だと思う。親子関係とか家族というのは、そこにお互いの尊厳を大切にしていく人間愛があるか、ないかで決まってくるもの。どう産んだかよりも、どう育てられたかによって、人間は変わってくると思う」
根津医師は講演や著書を通じて、代理出産禁止の法制化に反対の声を上げている。国がボランティアでの代理出産を認め、しっかりとしたサポート体制を組めば、日本国内での代理出産は可能であると考えている。

海外での代理出産は、心理面だけでなく、金銭面において大きな負担が圧し掛かる。資金がネックとなり、代理出産を諦めざるを得ない日本人夫婦は多いと、十年以上にわたって日本人向けの仲介サービスを行なってきた「インターナショナル・ファーティリティー・センター(IFC)」代表、川田ゆかり氏は指摘する。
「生まれてきた子に保険がきかないから、アメリカでの代理出産には莫大な費用がかかるんです。まして、早産になってNICUに数カ月入院することになれば、何千万円とかかる。『2000万円以内でできます』と言っても約束はできない。代理出産にかかる総額は、予想が立たないのが困難な点です」
未熟児の健康状態にもよるが、NICU入院費は一日、2500〜3000ドル(30万円前後)と非常に高額である。特別な医療措置が必要となると、さらに出費はかさむ。


日本での代理出産は現状では困難
 
そして、たとえ経済的、技術的に可能だとしても、日本産科婦人科学会が禁じている限り、日本国内で代理出産を行うのは、現状ではきわめて難しい。
不妊専門病院「はらメディカルクリニック」の 原利夫院長は次のような見解を述べる。現在のところ、国内の産婦人科医たちの主流派の声だろう。
「どれだけ医療が発展しても、神の領域というものがある。日本人は常に心のどこかに、神様に対する畏敬の念を持っていると思いますよ。だから、自分たち産婦人科医は、暴走しないように線を引いている。それがいまの日本国内では日産婦の会告になるわけで、少なくとも現時点では代理出産の実施は待つべきです」

最高裁で出生届の不受理が確定した以上、西野夫婦の双子の息子たちは日本の戸籍に入ることができない。彼らは米国籍のまま、日本で暮らしていくことになる。アメリカでは法的に西野夫妻が実親と決定しているため、特別養子縁組といった手段は不可能なのだ。
日本国籍がないと住民票がない。20歳になっても参政権はなく、生活上いろいろな面倒や不都合が予測される。外国人登録をしているため、住民票の代わりとなる証明を取ったり、国民健康保険に加入したりすることは可能ではあるが……。
親子関係、倫理、戸籍。代理出産はさまざまな社会的課題を突きつけている。今後、そう遠くない将来、少子や不妊の問題がさらに深刻化し、いまの日本人の家族観がなんらかの形で変化すれば、代理出産に対する社会の風向きも変わるかもしれない。


 
 

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